絵に描いたような天真爛漫な幼少期を過ごしていましたが、中学生にあがる頃には自分は集団行動がすごく苦手だと感じていました。
学校の授業をみんなと一緒に同じ方向を向いて座って聞くことに苦痛を感じ、このままでは生きるの大変だ、手に職をつけねばと思い、辿り着いたのは、家でお菓子を作っていた私に言った母の一言「あんたそれ仕事にしたらええんちゃうん」でした。
その手があったとパティシエの道を志しました。
ひょんなことから師匠である福本伸也シェフと出合い飛ぶ鳥を落とす勢いのレストラン、カセントへ入店。
素材を通して徹底的に自分と向き合う濃密な時間を過ごし気が付けば8年、夢中で働いていました。
スーシェフまで勤め上げ更なるステップアップを求め、スペインへ。
みんなが家族のように働く職場の雰囲気に素晴らしさを感じた。
上司と部下ではなく相手と自分を尊重し対等に付き合う関係性の重要さに気が付きました。
そして一年ほどで日本へ帰国。
その後軽井沢ヒルトンの料理長に就任することとなりました。
軽井沢ヒルトンは地域の循環の中でのホテルの在り方を模索していた時期で、料理長である私はたくさんの相談をうけました。
地方の高齢化による働き手不足、荒れる農地、産地ロス、食糧危機、残留農薬による身体への影響、子供たちのアレルギー問題、飲食業界の人材不足、中身のないエシカルやサスティナブルという言葉、コンテンツ化する文化。
ずっと料理と自分しか視てこなかったわたしには衝撃的なことばかりでした。
ひとつひとつ自分にできることは何かと問題に向きあってきましたが、その全てが対処療法の領域を超えられないというもどかしい気持ちでいっぱいでした。
新しい知見を得るにつれ、もっと根本的なところから始めないと何も動かない。
料理長という立場ではできることが少ない。
そう思って、独立を決めました。
海に囲まれ、豊富な水源をもち、山にも海にも潤沢に食べものがあるはずの日本。
しかし食糧自給率はわずか38%。
自給率には家畜の飼料が含まれず、野菜の種も他国からの輸入となると、自国でまかなえている量はさらに少ないでしょう。
いつの間にか“生産者”と“消費者”に分断され、“消費者”はより安く、便利に、を求めてきました。
わたしたちの命の源である食料をつくっているにも関わらず、生産性ばかり求められ、農薬に依存する農法を取らざるを得なくなり、大地はますます薬品によって疲弊するという循環構造をとっています。
そして、四季を楽しみ、平和を愛し、穏やかな毎日を大切にしてきた日本人ですが、いつしか現代では目まぐるしい作業に追われ、食べることはおざなりになってしまっています。
本当の豊かさとは何か、問い直すときに来ているのではないでしょうか。
若年層の自殺率は右肩上がり、2021年のデータでは15歳~39歳までの死亡原因の1位は自殺です。
社会の健康は自身の健康と同じ。
すべてはつながっているので、不健康な社会では自分一人で健康を保つのは難しいと感じています。
わたしの役目は“親鳥がヒナに巣をつくるように、彼らが望んで成長できるよう健全な環境を用意すること“。
そう結論しSubakoの創立にいたりました。
夕日を綺麗だなと感じる余裕と共に生きていきたい方、おいしいごはんを毎日おなかいっぱい食べたい方、お問合せお待ちしています。
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